『令和時代の働き方を考える!~プロフェッショナルキャリア、ダブルキャリア、セカンドキャリア~』

本日は、ゲスト・事務局合わせて21名の参加となり、下記のような4部構成で開催しました。

【第1部】主宰者 植田による事前アンケートの分析結果報告
【第2部】「自己実現のための選択、2回のキャリアの転機で転職、起業」ディ・マネジメント株式会社 代表取締役、ダイバーシティコンサルタント 田中慶子氏
【第3部】「プロフェッショナルなキャリアの選択」キャリアコンサルタント、社会保険労務士 臼井淑子氏
【第4部】「定年を機にセカンドキャリアとしてダブルキャリアの選択」キャリアコンサルタント、ファイナンシャルプランナー 昌宅由美子氏

【第1部】主宰者 植田による事前アンケートの分析結果報告(回答数:20社)
 アンケートでは、退職者や中途入社者の数、早期退職制度、兼業・副業に関する実態、自己研鑽を支援する制度の有無などについてお伺いしました。最初の設問「会社が10年後、終身雇用的な安定雇用を続けられる可能性は?」の回答では、やや低い15%、低い5%、わからない35%と、半数以上が雇用について先行き不透明な印象を持っていることがわかりました。また、ここ3年の退職者について、増えている20%、やや増えている20%との回答があり、特に若年層の退職者が増加しているとの回答が複数社ありました。昭和の時代、終身雇用が当たり前で転職する人は少数でした。平成・令和時代は、若手が流動的といえます。Q4は、定年制度の有無ではなく、役職定年制度があるかを聞くつもりでした。体感として、役職定年制度を設けている企業が増えており、役職定年の年齢も下がってきています。また、早期退職制度を導入する企業も増えてきている印象です。
 社員の兼業・副業を認めているかとの問いに、アンケート回答企業では、容認しているは20%でしたが、新聞では47%になっていました。世の中の風潮として、認めざるを得なくなってきています。Q10では、個人の「自立」を目的としたキャリア研修を行っているかを聞きました。行っている企業は20%、研修を実施していても「自立」を目的とはしていないとの企業もありました。これまでは、会社から言われたことをきちんとこなせる社員が重宝されましたが、今は働き方が変わってきています。今後、「自立」を目的とした研修は、非常に重要です。
 最後の設問では、「あなたは今、同じ給料以上で他社に雇用される、または自分で稼げると思いますか?」と、現在の自身の市場価値について聞きました。思わないが65%と最も高く、次いでわからない15%でした。サラリーマンをしていると自分の市場価値はわかりにくいものです。気になる場合は、転職サイトに登録するとよいとの話がありました。
 グループディスカッションでは、各社の役職定年制度の有無について確認しました。ある年齢になると降格はある、制度として明記はされていないが何となく役職を外れるなどの話が出ました。

【第2部】トップバッターの田中慶子さんからは、「自己実現のための選択、2回のキャリアの転機で転職、起業」をテーマにお話しいただきました。
 田中さんは人材採用、教育業界でコンサルティング営業としてキャリアを積まれ、2015年5月にダイバーシティ経営の促進と定着を目指し、ディ・マネジメント株式会社を設立。現在はダイバーシティ推進、働き方改革の講演、研修講師、コンサルティングを中心に活躍されています。
1回目のキャリアの転機は40歳、キャリアカウンセラーの資格を取得し、人生の後半は「人材育成に携わり、女性を応援する研修講師になろう」と決断した時でした。なぜ女性かというと、ひとつはご自身の経験から、子育てしながら時間制約のある働き方の中でも自信と責任を持って働いてほしい、もうひとつは採用の仕事を通じて優秀な女性が就職活動に苦労している姿を目の当りにし、男性と同様に評価される社会を作りたいと思ったとのことです。
 講師で転職するには実績作りが必要だったので、そこからは副業で就業支援の講師の経験を積み重ね、着々と準備を進めていきました。しかしながら、40代で新たなキャリアを目指す転職は一筋縄ではいかなかったそうです。「あなたに紹介できる仕事がありません」厳しい現実をつきつけられ、自分自身の市場価値の低さに驚愕。40代で管理職の経験者は使いづらいと言われ、希望年収は合わず、就業支援での講師経験は大手の研修会社では全く役に立たないことがわかりました。
 ここで頭角を現したのが、新規開拓トップセールスの経験でした。田中さんは、入りたい会社に狙いを定め、採用担当ではなく社長宛てに熱意を込めた応募書類を送付し、見事採用となりました。その後は持ち前の営業力と管理職経験が活かされ事業部長に昇進、ご自身が登壇する研修も部下と共に積極的に提案し、企業研修の講師としての実績も作りあげることができました。
 2回目のキャリアの転機は47歳、経営者との事業方針の違いや部下の処遇、キャリアパスに対する不信感から5年間働いた会社を退職することとなりました。この決断は望んだ結果ではなかったのですが、今から思い返すと40歳でキャリアコンサルタントの資格を取った時に描いていたキャリアプランが、まさに教育業界で5年働いた後に独立することだったそうです。「計画された偶発性」(米国スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授が20世紀末に提唱したキャリア理論。「個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定される」)が私の頭をよぎりました。
 退職&独立までの準備期間はわずか10ヶ月、田中さんは、残された部下達が困らないようモデル提案書の作成や3年分の企画営業をクライアント先へ提案し売上確保に努める傍ら講師としての自分の価値を高めるため、植田道場に入門し、福岡から東京まで自費で通い続けました。
 「円満退職」で独立後も前職から研修の仕事を受注できるはずだったのですが、なんと退職の10日後に全ての仕事がキャンセル。まさにゼロからのスタートとなり、眠れない夜が続いたそうです。しかしながら、田中さんにはこれまで培ってきた人脈と九州で唯一無二のダイバーシティ推進、人材開発のコンサルティング企業になるというビジョンがあります。女性活躍推進法や働き方改革を主軸に置き、たゆまぬ努力を続けた結果、当初立てた5年計画を順調に進めてこられているとのことでした。
 田中さんの発表は終始笑顔が絶えず、つらい経験の中でも前向きな気持ちとご自身の信念を大切にしてきた姿勢が感じられました。独立したことにより、仕事に対する自由度や人脈の広がりを実感できているものの、将来に対する不安も否めないとおっしゃっていましがた、「自分がやってきた全てが未来につながる」という力強いメッセージをこれからも体現されるであろうと確信しました。田中さん、ありがとうございました。

【第3部】臼井淑子さんからは、「プロフェッショナルキャリアの選択」をテーマにお話しいただきました。
 臼井さんはビール会社での商品開発&マーケティング、人材開発コンサルティング会社での営業&マネジャーを経て、現在、研修講師、大学でのキャリアアドバイザー、社会保険労務士、そしてQueの営業としてご活躍されています。
 新卒の就職活動では「人と深く関わりたい」という想いがあるものの、どんな職業があるのかわからず、ビールが大好きだったことからビール会社に入社。ビール・発泡酒の商品開発・マーケティングに携わり、数々の新商品を世に送り出されました。しかしながら最初から希望の部署に配属になったのではなく、入社当初は希望と違う仕事で悶々とした日々を過ごしていたそうです。そんなある日、ビアバーで偶然商品開発部長にお会いする機会があり異動を直訴、この出会いがきっかけとなり数カ月後に異動が叶えられたとのことでした。
 そんな夢だった商品開発に携わり、新商品開発に情熱をもって取り組んでいたものの、次第に自分のやりたいこととの乖離に気づきモヤモヤが晴れない日々が続く時期が訪れたことも。いろいろなセミナーやワークショップに参加し、自分にとって何が大切なのか、もがき悩み、その結果わかったのが、そういう時にこそ、目の前の仕事に正面から向き合い、全力で頑張ること。そうしてやり切った時に次の扉が開かれたそうです。
 臼井さんが選んだのはベンチャー系人材開発コンサルティング会社の営業職でした。学生の時に想った「人に深く関わりたい」仕事がまさに人材開発だとわかり、法人向けコンサルティング営業、研修講師として、教育研修やダイバーシティ推進の企画立案、プログラム開発、実行支援と多忙な日々を過ごすことに。そんな中で、子どもを持ちながら企業で素敵に働く女性とたくさん出会い、ご自身も結婚、出産、ワーキングマザーとキャリアを育んでこられました。マネジャー職のまま復職して気づいたのは、出産前の徹夜や休日出勤も厭わない猛烈サラリーマン的な働き方では子育てをしながら働き続けることは不可能だということ。一人働き方改革のスタートです。自分でやらなきゃ!という完璧主義を手放し、周囲と協力、情報共有、周りを巻き込み、弱い部分も見せることで周囲との関係がよくなったそうです。やっとペースがつかめたと思った頃に、会社の経営状況に陰りが見え隠れし、臼井さんもリストラ対象となり退職。これがプロフェッショナルキャリアを選択するきっかけとなりました。
 二人目のお子様を望んでいた臼井さんは、新たな会社で働くのではなく独立を選びました。自信も勝算もなかったけれど、目の前のできること、やりたいことに取り組む中で、大学でのキャリアアドバイザー、社会保険労務士と自らのキャリアの幅を広げてこられました。そして 下のお子様の小学校入学を機に、女性活躍推進を主軸とする講師として本格的に活動を開始され、ご自身がベンチャー企業時代に、素敵なワーキングマザーたちとの出会いからたくさん力をもらったように、今度は自分が誰かの力になりたいという思いで活動を行っていらっしゃいます。現在は、企業での研修講師、大学でのキャリアアドバイザー、社会保険労務士、そしてQueの営業担当と複数の仕事に携わる中で、相互作用が働き市場価値の高まりを感じられているというお言葉には、キャリアの節目を乗り越えてきた頼もしさが感じられました。
 数年(2~3年)後のキャリアビジョンとして「海外での仕事(研修)」、「絵を描くワークをやる」、「どんなときも自分らしい姿で在る」、「信頼関係でつながるリピート客に囲まれている」、「(番外)ラジオ番組で悩み相談に乗る」と宣言された中で、「(番外)ラジオ番組で悩み相談に乗る」こそが、学生時代から夢見ていた「人と深く関わりたい」に繋がっているのでは!と感じました。
 まとめとして、自分の人生を切り拓く覚悟と学び成長し続ける大切さ、学ぶことこそ最大のリスクヘッジであるというメッセージと共に、切磋琢磨しあえる仲間と、いざというときに相談できるご主人の存在をお話しいただき、臼井さんの温かなお人柄が感じられました。臼井さん、ありがとうございました。

【第4部】最後は昌宅由美子さんから、「定年を機にセカンドキャリアとしてダブルキャリアの選択」のテーマでお話いただきました。
 昌宅さんは新卒で入社した生命保険会社を勤め上げ、今年の3月に定年退職を迎えました。4月からは再雇用として同じ会社で働き続け、同時に研修講師としてダブルキャリアの道を選択されました。
 最初に会社人生の振り返りとして、サラリーマン時代に感じた三つのキャリアの節目についてお話いただきました。
 一つ目の節目は男女雇用均等法の影響で総合職に転換した時のこと。総合職に転換したと同時に係長職へ就任され、異動も多々ありハードな働き方だったようです。プライベートでは、結婚、出産の時期と重なり、出産された時は係長であったことから上司に早めの復帰を求められ、産休2ヶ月で復帰、公私ともにとてもお忙しい時期だったことが伺われます。その後も職域が広がり、女性で初めての顧客次長(苦情対応次長)に就いた頃には社内でも一目置かれる立場になっていらっしゃったのではないかと思います。
 二つ目の節目はダイバーシティ推進担当になった時です。求められたのは障がい者雇用の法定雇用率達成でした。しかしながら活動を行っていく中で、本当に大切なのは支援しながら長く働き続けられる環境作りだと考え、「多様な環境の人を支援する」ことに主軸を置かれたそうです。同時に女性活躍推進の一環として女性を対象としたキャリア研修を行い、参加者同士が横につながるきっかけ作りができたとのこと。ダイバーシティ推進を担当したことで多様な人々と出会い、人のために働く喜び知ったことは人生における大切な経験となられたそうです。
 三つ目は、役職定年による予期せぬ人事異動の辞令を受けた時です。異動先は支社への指導を行う事務企画部。ダイバーシティ推進、女性活躍推進に高いやりがいを感じていただけに、役割の変化に戸惑われたようです。しかしながら、「支社へ指導に行くことで、現地で働く女性に会える!であれば、そこで働く女性を元気にしたいと思い、積極的に面談を重ねた」とのお話から、視点を変えてやりがいを見つける力強さが感じられました。
 定年を迎え、再雇用の条件を提示された際には、わかってはいたものの提示された金額の低さを受け入れるのに時間を要したとのこと。皆、一律だとは言われても、その金額が自分の価値なのか?同じ仕事内容なのに?と感じてしまう葛藤の日々。「これから5年間、この金額で昇給なしではモチベーションが保てない...」と思っていたそうです。が、事態は変わりました。4月に55歳の後輩男性が入ってきたことで、その方を育成する「役割」があることに気づき、それが新たなやりがいになっているのです。そして研修講師としてダブルキャリアの道を切り拓くために、強い意志を持って会社に交渉することで、原則、副業禁止の会社から認めてもらうことができました。52歳でキャリアコンサルタントの資格を取得、56歳でファイナンシャルプランナーの資格を取得、そして60歳で研修講師としての道をスタート。年齢を理由にあきらめずに、挑戦し続けてきたからこそ可能性を広げることができているのです。
 最後に、“キャリアコンサルタントの勉強の中で、「人は一生成長し続ける」ものという教えがあり、その言葉を聴いたとき、目の前がパァーっと広がった感覚があった。年をとることは老化していくイメージだったが、たとえ体が老化しても、「一生成長し続ける」ことが出来るのならば、努力を続けていきたい。”というメッセージをいただきました。
 生涯現役で働き続ける時代、働き続けることが苦行ではなく、働き続けられることに喜びを感じていける、そんな勇気をいただきました。昌宅さん、ありがとうございました。

文責:株式会社日経BPマーケティング 神田絵梨、キャリアコンサルタント 山岡正子